2010年09月30日(木) コメント:2 トラックバック:0
(相変わらず一ヶ月遅れの日記。
覚えていることだけ書くので、中身は点のみ。
どうかご容赦のほどを。)
上野茂都さん余一会鑑賞。
・上野さんの歌はどれも好きだが、本日歌ってくださった「きらわれ節」は、もうたまらなく好きな作品だ。
控え目に三番の歌詞のみご紹介。
<あぁ嫌われた嫌われた 蛇蝎(だかつ)の如く嫌われた
そうだよ俺の悪い癖 何時でも一言多いのだ
蝎蛇(さそり へび)何思う どちらも此処らじゃ見掛けぬが>
この客観的な視線が大好きだ。
相手を責めるでもなく、自己弁護をするでもなく、
関係修復を願うでもなく、反省して自己改革を決意をするでもなく。
嫌われて落ち込む自分もいるのだが、一方でその情けない自分と、
嫌われているという状態を俯瞰して見ている自分もいる。
それをユーモラスに語っている。
経験がなければ書けない詩だ。
それも、一度自分の中で全てを味わい、咀嚼、消化し、さらに昇華させなければ生まれえない詩だと思う。
だからこの作品を楽しむなら、聞く側にもそれなりの経験があるほうが有利である。
毛虫のごとく(一番)、虱のごとく(二番)、蛇蝎のごとく(三番)嫌われて、
一通りの工程を経ていれば、この詩の味わいはさらに増す。
嫌われてもその自覚のない、自分=善人と思い込んでいる幸せ者には、この歌のよさは一生わかるめえ。
あぁ嫌われて嫌われて 一時は不幸でよかったなぁ。
・朗読は火野葦平の「石と釘」という作品。
アンコールで内田百間(本当は門構えに月)の作品も。
後者のタイトルは忘却。
ともに、ちょっと変わった面白い話だった…と思う。
が、いかんせん身体的疲労から睡魔に負け、聞いている時から既に記憶が途切れ途切れ。
今となっては、ほとんど何も思い出せず。
だれかが催眠術でもかけてくれれば当時の様子が蘇るかも。
上野さんの声は耳に心地よいので不眠治療には最適だと思が、疲れている時には要注意だ。
(最前列でうとうとしてどうもすみません。)
・お料理ショーは、
とまそうめん
今回は時間的余裕があったようで、事前に厨房で作業なさる映像も流された。
店主、石川さんとの会話がいとおかし。
上野さん、この料理は「思いついて、初めて作る」とのこと。
その発言に、最初からできあがりについては懐疑的な石川さん。
「そうめんはあまり食べない、ツナは好きではない、かいわれは初めて食べる」
と、やたらと否定的。
味見をしても、手放しでは誉めず。
「これくらいの量がちょうどいいですね」とコメント。
「前菜に向いている」と言っているようで、「おかわりはいらない」
と暗に匂わせているようにもとれる。
料理以外の話題も。
健康についての石川さんのご意見。
「上野さんみたいに(日ごろから)、ダメだ、ダメだと言っている人は、大丈夫なんですよ」
「私は一度壊れた(=大病したの意?)から、もう壊れません」
お二人が思いつくままに話されている様子がそこはかとなくおかしい。
ともに、なにか気のきいたこと、面白いことを言おうという意図はまったくないのだと思うが。
ただ、会話しているだけ、それだけで自然におかしいのだ。
大阪の人が二人いると漫才になる、という面白さとは違う。
もっと、控え目なジワジワとしたおかしさだ。
これは、関東の人が持っているおかしさだと思う。
(ただし、大人のセンスある男性の。)
この会は、表に出るのは上野さんだが、店主、石川さんが支えている面もかなりあるのだと感じた。
他のライブ会場以上に店主の役割が大きそうだ。
それが、あからさまでない、さりげないところも素敵だ。
料理ができあがり、お客さんに振舞われると、石川さん、お客さん一人一人に感想を求めておられた。
みな、口をそろえて「おいしいです」と返答。
一人、首をかしげる石川さんであった。
(石川さん、おいしいもの好きそうですが、意外に好き嫌いも多そうです。)
覚えていることだけ書くので、中身は点のみ。
どうかご容赦のほどを。)
上野茂都さん余一会鑑賞。
・上野さんの歌はどれも好きだが、本日歌ってくださった「きらわれ節」は、もうたまらなく好きな作品だ。
控え目に三番の歌詞のみご紹介。
<あぁ嫌われた嫌われた 蛇蝎(だかつ)の如く嫌われた
そうだよ俺の悪い癖 何時でも一言多いのだ
蝎蛇(さそり へび)何思う どちらも此処らじゃ見掛けぬが>
この客観的な視線が大好きだ。
相手を責めるでもなく、自己弁護をするでもなく、
関係修復を願うでもなく、反省して自己改革を決意をするでもなく。
嫌われて落ち込む自分もいるのだが、一方でその情けない自分と、
嫌われているという状態を俯瞰して見ている自分もいる。
それをユーモラスに語っている。
経験がなければ書けない詩だ。
それも、一度自分の中で全てを味わい、咀嚼、消化し、さらに昇華させなければ生まれえない詩だと思う。
だからこの作品を楽しむなら、聞く側にもそれなりの経験があるほうが有利である。
毛虫のごとく(一番)、虱のごとく(二番)、蛇蝎のごとく(三番)嫌われて、
一通りの工程を経ていれば、この詩の味わいはさらに増す。
嫌われてもその自覚のない、自分=善人と思い込んでいる幸せ者には、この歌のよさは一生わかるめえ。
あぁ嫌われて嫌われて 一時は不幸でよかったなぁ。
・朗読は火野葦平の「石と釘」という作品。
アンコールで内田百間(本当は門構えに月)の作品も。
後者のタイトルは忘却。
ともに、ちょっと変わった面白い話だった…と思う。
が、いかんせん身体的疲労から睡魔に負け、聞いている時から既に記憶が途切れ途切れ。
今となっては、ほとんど何も思い出せず。
だれかが催眠術でもかけてくれれば当時の様子が蘇るかも。
上野さんの声は耳に心地よいので不眠治療には最適だと思が、疲れている時には要注意だ。
(最前列でうとうとしてどうもすみません。)
・お料理ショーは、
とまそうめん
今回は時間的余裕があったようで、事前に厨房で作業なさる映像も流された。
店主、石川さんとの会話がいとおかし。
上野さん、この料理は「思いついて、初めて作る」とのこと。
その発言に、最初からできあがりについては懐疑的な石川さん。
「そうめんはあまり食べない、ツナは好きではない、かいわれは初めて食べる」
と、やたらと否定的。
味見をしても、手放しでは誉めず。
「これくらいの量がちょうどいいですね」とコメント。
「前菜に向いている」と言っているようで、「おかわりはいらない」
と暗に匂わせているようにもとれる。
料理以外の話題も。
健康についての石川さんのご意見。
「上野さんみたいに(日ごろから)、ダメだ、ダメだと言っている人は、大丈夫なんですよ」
「私は一度壊れた(=大病したの意?)から、もう壊れません」
お二人が思いつくままに話されている様子がそこはかとなくおかしい。
ともに、なにか気のきいたこと、面白いことを言おうという意図はまったくないのだと思うが。
ただ、会話しているだけ、それだけで自然におかしいのだ。
大阪の人が二人いると漫才になる、という面白さとは違う。
もっと、控え目なジワジワとしたおかしさだ。
これは、関東の人が持っているおかしさだと思う。
(ただし、大人のセンスある男性の。)
この会は、表に出るのは上野さんだが、店主、石川さんが支えている面もかなりあるのだと感じた。
他のライブ会場以上に店主の役割が大きそうだ。
それが、あからさまでない、さりげないところも素敵だ。
料理ができあがり、お客さんに振舞われると、石川さん、お客さん一人一人に感想を求めておられた。
みな、口をそろえて「おいしいです」と返答。
一人、首をかしげる石川さんであった。
(石川さん、おいしいもの好きそうですが、意外に好き嫌いも多そうです。)
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コメント(2件)
先日は、どうも!でした。
>聞く側にもそれなりの経験があるほうが有利である。
同感です。そして、人によって、同じ様にみえる経験でも、その中味は千差万別な訳で。
なんか、その厚みたるや…、おもしろいですね。
訳、分からない事、書いてしまいました。
又、お会いできるのを楽しみに♪
> 同感です。そして、人によって、同じ様にみえる経験でも、その中味は千差万別な訳で。
> なんか、その厚みたるや…、おもしろいですね。
上野さんの歌には、聞く側に、いろんな感情、感覚、思いを、引き起こさせる力がありますね。
のっぺりした人生ではなく、きっと、でこぼこや傷もある、でも、それが魅力的に映る、
そんな方のようにお見受けします。
また、愉快な歌とおいしい料理を楽しみましょう。
(今度の料理は石川さんもお気に召すといいですね。)