2014年01月22日(水) コメント:0 トラックバック:0
ヨチヨチスワン@お江戸日本橋亭鑑賞。
大盛況。
いやー、実に面白かった。
詳しい内容は書けないけれど。
三遊亭白鳥公式ホームページ
その訳は↑の第602回(2014/1/14更新)をご覧ください。
でも「危ないトーク」と言っても、単なる裏話、暴露話ではない。
白鳥師匠の噺には、品位、節度、大人としての分別、優しさがあるのだ。
そして、どんなに踏み込んだ内容でも、お客が心から笑えるようなおおらかさがある。
また、どんなに荒唐無稽、奇想天外のように見える噺でも、きちんと伏線もあるし、
作りは緻密で構築的、無理なく綺麗に落ちがつくようにできている。
壮大なストーリーでも、お終いまでテンポや熱量は下がることなく進んでいく。
それは見事なものだ。
白鳥師匠の噺には、従来の落語の概念には収まりきらないようなスケールの大きさがある。
だから、私はいつも「今日はどんなはなしが聞けるのだろうか」と、ワクワクしながら座席に座り、
高座の最中は、予想もつかないストーリー展開に子供のように胸を躍らせて聞き入ってる。
しかし、それがどんなに変わった噺であっても、落ちを聞いた後には、
「面白い落語を聞いた」という確かな満足感、充実感を覚えるのだ。
白鳥師匠の他にも所謂新作落語をなさる人気のある噺家さんはいらっしゃるし、
私自身、「面白い!」と感じる方も何人かいる。
ただ、その中で、高座を聞き終わった後に、「面白いお話を聞いた」とは思うけれど、
「面白い落語を聞いた」とは思えない方もいる。
(因みに複数。
そして、念のために申し上げておくと、K太郎師匠ではありません。
K太郎師匠は大好きで、私にとって、古典はもちろん、新作も、
「面白い落語を聞いた」と思わせてくださる噺家さんです。)
私が「面白いお話を聞いた」とだけ感じる方は、世間的な評価は非常に高い噺家さんだ。
だが、なぜか、私は「落語を聞いた」という満足感は覚えないのだ。
「お話」と「落語」の違いとは何なのか、両者の線引きをどこでしているのか、自分でもよく説明できない。
ただ、振り返って考えるに、「お話」の場合は、聞き終わったらそれまでで、あまり思い返すことがない。
一方、「落語」は余韻に浸り、その後も反芻し、何度も楽しむ、という傾向があるような気がする。
結果論だけど。
そして、あくまでも私だけのケースだけど。
おそらく
「新作なんて落語ではない」と言う人もいれば、
「落語家が高座で座布団に座って話せば、それは落語だ」と考える人もいて、
落語の定義も人それぞれだろうから。
ともかく、私にとって、白鳥師匠は他の誰も思いつかないような噺を作って聞かせてくれる、
努力を怠らない天才噺家さんなのだ。
次回も行けたらいいなと思いながら、お江戸日本橋亭を後にする。
大盛況。
いやー、実に面白かった。
詳しい内容は書けないけれど。
三遊亭白鳥公式ホームページ
その訳は↑の第602回(2014/1/14更新)をご覧ください。
でも「危ないトーク」と言っても、単なる裏話、暴露話ではない。
白鳥師匠の噺には、品位、節度、大人としての分別、優しさがあるのだ。
そして、どんなに踏み込んだ内容でも、お客が心から笑えるようなおおらかさがある。
また、どんなに荒唐無稽、奇想天外のように見える噺でも、きちんと伏線もあるし、
作りは緻密で構築的、無理なく綺麗に落ちがつくようにできている。
壮大なストーリーでも、お終いまでテンポや熱量は下がることなく進んでいく。
それは見事なものだ。
白鳥師匠の噺には、従来の落語の概念には収まりきらないようなスケールの大きさがある。
だから、私はいつも「今日はどんなはなしが聞けるのだろうか」と、ワクワクしながら座席に座り、
高座の最中は、予想もつかないストーリー展開に子供のように胸を躍らせて聞き入ってる。
しかし、それがどんなに変わった噺であっても、落ちを聞いた後には、
「面白い落語を聞いた」という確かな満足感、充実感を覚えるのだ。
白鳥師匠の他にも所謂新作落語をなさる人気のある噺家さんはいらっしゃるし、
私自身、「面白い!」と感じる方も何人かいる。
ただ、その中で、高座を聞き終わった後に、「面白いお話を聞いた」とは思うけれど、
「面白い落語を聞いた」とは思えない方もいる。
(因みに複数。
そして、念のために申し上げておくと、K太郎師匠ではありません。
K太郎師匠は大好きで、私にとって、古典はもちろん、新作も、
「面白い落語を聞いた」と思わせてくださる噺家さんです。)
私が「面白いお話を聞いた」とだけ感じる方は、世間的な評価は非常に高い噺家さんだ。
だが、なぜか、私は「落語を聞いた」という満足感は覚えないのだ。
「お話」と「落語」の違いとは何なのか、両者の線引きをどこでしているのか、自分でもよく説明できない。
ただ、振り返って考えるに、「お話」の場合は、聞き終わったらそれまでで、あまり思い返すことがない。
一方、「落語」は余韻に浸り、その後も反芻し、何度も楽しむ、という傾向があるような気がする。
結果論だけど。
そして、あくまでも私だけのケースだけど。
おそらく
「新作なんて落語ではない」と言う人もいれば、
「落語家が高座で座布団に座って話せば、それは落語だ」と考える人もいて、
落語の定義も人それぞれだろうから。
ともかく、私にとって、白鳥師匠は他の誰も思いつかないような噺を作って聞かせてくれる、
努力を怠らない天才噺家さんなのだ。
次回も行けたらいいなと思いながら、お江戸日本橋亭を後にする。
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