2016年09月23日(金) コメント:0 トラックバック:0
テントさんの訃報を知る。
テントさん、ウィキペディア記事
毎日新聞の記事
初めて舞台を拝見したのは、11年前。
拙文レポートもどき
以来、東京で何度か、大阪でも一度、舞台を拝見した。
怪しげな漢方薬屋の店主役で出演された映画、「かぞくのひけつ」は、
公開当時、大阪に出かけたついでに、同作品が作られる発端となった映画館で鑑賞した。
(因みに、監督は、テントさんの師匠にあたる上岡龍太郎氏のご子息、小林聖太郎氏。)
平日の昼間だったせいか、館内がらがらだったっけ。
かぞくのひけつ公式HP
「かぞくのひけつ」予告編
大阪だけではあきたらず、渋谷の映画館にも出かけたものだ。
上映開始を待つ間、ロビーの長椅子の端に座っていたら、
もう片方の端に、立川談大さんが芸人仲間と思しきお連れさんと着席。
饒舌に会話されていたのを覚えている。
思えば、その談大さんの訃報を聞いたのが大阪、出丸師匠の会に伺った折のことだった。
それを一つの契機に(それだけが大きな理由ではない)、二人会を開く方向に気持ちが傾いていったのだ。
などということを思い出すと非常に感慨深い。
昨日、ふと、テントさんにまつわるエピソードを思い出したりしていたのだが、
なにかの前触れだったのだろうか。
引き際が鮮やかというか、潔いのが、なんだかテントさんらしい気がする。
今さらですが、拙レポートもどき一部訂正。
「若者の行く道は…」ではなく「行く先は…」でした。
もう、テレビでも、生でも、人間パチンコ見られないのかと思うと寂しい限りです。
テントさん、ウィキペディア記事
毎日新聞の記事
初めて舞台を拝見したのは、11年前。
拙文レポートもどき
以来、東京で何度か、大阪でも一度、舞台を拝見した。
怪しげな漢方薬屋の店主役で出演された映画、「かぞくのひけつ」は、
公開当時、大阪に出かけたついでに、同作品が作られる発端となった映画館で鑑賞した。
(因みに、監督は、テントさんの師匠にあたる上岡龍太郎氏のご子息、小林聖太郎氏。)
平日の昼間だったせいか、館内がらがらだったっけ。
かぞくのひけつ公式HP
「かぞくのひけつ」予告編
大阪だけではあきたらず、渋谷の映画館にも出かけたものだ。
上映開始を待つ間、ロビーの長椅子の端に座っていたら、
もう片方の端に、立川談大さんが芸人仲間と思しきお連れさんと着席。
饒舌に会話されていたのを覚えている。
思えば、その談大さんの訃報を聞いたのが大阪、出丸師匠の会に伺った折のことだった。
それを一つの契機に(それだけが大きな理由ではない)、二人会を開く方向に気持ちが傾いていったのだ。
などということを思い出すと非常に感慨深い。
昨日、ふと、テントさんにまつわるエピソードを思い出したりしていたのだが、
なにかの前触れだったのだろうか。
引き際が鮮やかというか、潔いのが、なんだかテントさんらしい気がする。
今さらですが、拙レポートもどき一部訂正。
「若者の行く道は…」ではなく「行く先は…」でした。
もう、テレビでも、生でも、人間パチンコ見られないのかと思うと寂しい限りです。
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