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Butterflies Are Free : 映画の感想を書くだけの方が楽だったと今さらながら気づく

舞台鑑賞好きの私の日常。

映画の感想を書くだけの方が楽だったと今さらながら気づく

2017年11月12日(日) コメント:0 トラックバック:0

某ラジオ番組で、「ブレードランナー2049」の解説を聞く。
これは面白そうな作品だ。
それに、ヨージさんの作品と通じる要素もありそうだ。

ヨージさんは相当なSF好きである。
「ブレードランナー」も当然ご覧になっているであろう。
ということは、作品を拝見していれば、なんとなく察せられる。
これを機会に、ヨージさんワールドとリンクする世界を覗いてみるもよいのではないか。

そこで、まず、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読んでみた。
面白い。
哲学的なSFだと思う。
次いで、オリジナル劇場版及び最終版の「ブレードランナー」をブルーレイで鑑賞。
こちらも面白い。
ストーリーは、原作をそのままなぞっているわけではない。
随所に異なる点がある。
特に結末は大いに違う。
私は、どちらも好きだ。
そして、悪夢的映像美に圧倒される。
(ほめ言葉である。)

と、二週間ほどかけて下準備をした上で、「ブレードランナー2049」鑑賞。
面白かった。
「ブレードランナー」ファンの間でも賛否両論、評価が分かれているようだが、私はよい作品だと思う。

今作の主人公であるブレードランナー、Kは、レプリカント(=人造人間)である。
心無い人間からは「人間もどき」(=字幕の訳)と呼ばれ、差別されている。
(余談だが、「人間もどき」と聞くと、自動的に「マグマ大使」を連想してしまう。)
Kは、
「自分の記憶は本物か?」
「自分は何者(なにもの)なのか?」
と、惑いながら独りで生きている。
独り身ではあるが、誰よりも自分に理解を示してくれる理想的な恋人と共に暮らしている。
ただし、その正体は、三次元的な意味では実体のないホログラフィAIである。

記憶とは、自己とは、虚と実の違いとは、何であるのか?
それらの本質はどこにあるのか?
(前作の「ブレードランナー」にも言えることだが)今作品を見ていると、そういった問いが浮かんでくる。
ヨージさん作品を拝見した時と同じように。

しかし、そう申し上げても、ヨージさんの作品に馴染みのないみなさんにとっては、
なんのことやら、という話だろう。
そこで、「新・旧ブレードランナー」とヨージさん作品のどこが共通しているのか、
あるいは、鑑賞後に生まれる哲学的疑問めいたものがどう似通っているのか、
具体的に示すため、下に過去の拙文レポートをリンクする。
ただ、それだけでは、おそらくわかりづらいと思われるので、しつこいようだが、
便宜上タイトルをつけ、多少の説明も加えた。

・記憶の後付け

「新・旧ブレードランナー」では、人造人間であるレプリカントは他者によって記憶を埋め込まれる。
↓の作品では、クローンであるヤスコさんが、子供の頃の思い出を買おうとする。

05/06/12 中野studio twl 「ヨージ単独ライブ『ヨージ(モテたい部)ショー』」

・自己の探求

「新・旧ブレードランナー」では、己の存在について悩むレプリカントが描かれている。
↓の作品では、アイデンティティがキーワードの一つであった。(と思われる。)

06/07/26 なかの芸能小劇場「ヨージ単独ライブ」

・記憶の構造

「新・旧ブレードランナー」を見ていると、記憶とはそもそも何であるか、ということを考えさせられる。
(詳細は未見の方の楽しみを奪うので記しません。)
↓では、とりとめのない感想で、私は記憶の処理の仕方(垂直か水平か云々)について考えていた。

07/5/3 なかの芸能小劇場 「ヨージ単独ライブ」

・虚と実の境界

「新・旧ブレードランナー」では、人工的に作られた存在のはずなのに、人間的な感情を有するレプリカントが登場する。
また、肉体さえ持たないホログラフィAIが他者に対し高い共感能力を備えていたりする。
一方、レプリカントを「人間もどき」と蔑視する人間もいる。
人工的な存在が虚で、人間が実と言い切れるのか?
何をもって、虚と実を分けるのか、不明になってくる。

↓では、メインテーマのようなもので虚と実について長々と語っている。
また、シュウゾウと彼女の関係は、KとホログラフィAIの恋人の関係にも通じるものがあるような気がする。

07/12/1 なかの芸能小劇場「ヨージ単独ライブ」

・せつなくて幸せ

「新・旧ブレードランナー」に登場するキャラクターは、なにかしらの悩みをかかえ、他者と強いつながりを持たず、
個として生きている。
そんな彼らを見ていると、とてもせつない気持ちになる。
一方で、人間的な感情を備えた彼らに共感を覚え、とても優しい気持ちにもなる。
また、映像的には何も映らないのだが、彼らを見守る大いなる存在がいるような気持ちにもさせられる。
他者が彼らをどう扱おうとも、彼らは、大いなる存在に認められているのではないか。
独りでも、個であっても、彼らは不幸ではない。
彼らの生は実りあるものだと思う。
見終わったときに、どこか救われたような、幸せな気持ちになる。
せつないけれど幸せ。
それは、ヨージさんの作品でも感じることだ。
(特定の作品ではなく、どの作品においても言えることだ。)
描かれている世界は異なるけれど、鑑賞後の印象が似ているのだ。

以上は、私の個人的感想である。
「的外れな意見だ」と思われる方もおいでになることでしょうが、
一ヨージさんファンのたわごととお見逃しいただければ幸いです。




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