2018年09月12日(水) コメント:0 トラックバック:0
注:一番下に追記があります。
● 前置きのようなもの
9/8、待望のヨージさん単独ライブ@新宿バティオス鑑賞。
いつもながらとてもSF的な内容。
(同時に、文学的、哲学的、音楽的でもあるが。)
パラレルワールド、タイムトラベル、タイムスリップ、デジャブ、そういう世界観。
二時間半近く、休憩なしでネタぎっしり。
それも、他の人の二倍くらい早口で、
五倍くらい複雑な内容で、
十倍くらいの情報量で、
比類ないくらいの笑いのセンス。
ネタの構造がどこか数学的。
A→A´→B→B´
A∩B →( A∩B)´
のように少し似たような話や、
少し重なる話が徐々に変化しながら、
微妙につながり輪になる。
しかもその輪は、メビウスの帯のようにねじれている感じ。
こういうことを、たった一人で、それも、
お笑い(という言い方はあまり好きではないが、
他に適当な言葉が見つからない。
ヨージさんがなさっていることは、
演芸というくくりとも若干違う気がする。)
という分野でなさっている方は、
ヨージさんをおいて他にいらっしゃらないのではないか?
ヨージさんのなさっていることを音楽の世界で例えるなら、
一人フルオーケストラといったところだろうか。
一人で、管楽器も弦楽器も打楽器も、そして鍵盤楽器も
全て奏でてしまうマルチプレーヤー。
ご本人の見た目や、作品鑑賞後の印象から言えば、
そういう華やかさはないけれど、
(決してけなしているわけではない。)
構造的にはフルオーケストラだと思う。
たまたま、ヨージさん単独ライブの前日に、
現在飛ぶ鳥を落とす勢いの某芸人さんが出演される会を拝見したのだが、
ヨージさんがフルオーケストラなら、
その方はヴァイオリンのソリストだろう。
お客さんはその方の演奏に、第一小節からぐっと引き込まれ、
最終小節まで一切緊張感途切らせることなく、終始耳をそばだて、聞きほれていた。
確かな腕前だ。
文句のつけようがない。
見事なものだと思う。
ただ、楽器は一種類であるから(=話は複雑ではないから)、
観客は演者の名演に身をゆだねていれば、
その演者のすばらしさを、さしたる負荷を感じることなく味わうことができる。
一方、ヨージさんの場合は、楽器は複数であるから(=話が多重構造で複雑であるから)
観客はそれぞれの楽器の一音一音と、
全ての楽器の音が重なり合ったハーモニー、
どちらも聞き分けられる聴力がないと、
ヨージさんワールドを十分に楽しむことはできない。
(身も蓋もない言い方をすれば、ぼんやり聞いていたらなに一つわからない、
ということです。)
というわけで、今回のライブも私の脳味噌の容量をはるかに超えた内容であったため、
私が書き記すことができるのは、ヨージさんが提供してくださった作品全体の
一割にも達していない、極めて貧弱なものである。
また、頭の片隅に残っていたものを、どうにかこうにかつなぎ合わせて
文章化しているものであって、決してライブの正確な記録などではない。
(ヨージさんライブになじみがある方には言うまでもないことであるが)
各エピソードも直線的な時系列で語られてはいない。
それを忠実に再現するのは不可能なので、多少読みやすいように順番は変えてある。
以下の記事をお読みになって、ヨージさんの単独ライブとやらは、
こいつが言うほど大したものではなさそうだと、早合点なさいませんようにお願いいたします。
● 主な登場人物
・ヨージ
ヨージさん演じるところの作中のヨージであることもあれば、
作品の外側に立って話をされる、芸人ヨージさん、
あるいは素に近いヨージさんであることもあるが、
それらの境目は曖昧。
・ヨシダ君
もしかしたら別の名字だったかもしれない。
ヨージさんの作品は話が複雑なうえ、展開が早いので、
細部はおろか、肝心なことさえ忘れてしまう。
ああ、ヨージさんクラスの脳味噌が欲しい。
ともあれ、名無しの権兵衛では不便なので、
拙ブログでは便宜上ヨシダ君にしておく。
あしからず。
・ワタナベ君
この人物は、ヨシダ君と入れ替わるように登場する。
ヨシダ君とワタナベ君は、パラレルワールドを互いに
行き来していたのではなかろうかと思われる。
だが、いつ、どのタイミングで入れ替わっているのかは、
よくわからないまま話が進む。
(私が理解していないだけ、という可能性も大いにあり。)
・マドンナ
この人物は、最初は謎の美少女の肖像という形で登場する。
しばらくは正体不明のままで実態は明かされない。
が、ヨシダ君もしくはワタナベ君がパラレルワールドに出入りしたと思しきあたりで、
謎ではなく、実在する美少女として確かな存在感を示す。
名前もあったはずだが思い出せず。
便宜上マドンナにしておく。
・その他、クラスメート複数
※
なお、私が記憶している限りでは、ヨージさんは作中で
パラレルワールドという言葉は使っておりません。
登場人物がパラレルワールドを行き来したと解釈しているのは、
あくまでも私個人です。
ヨージさんは説明的なことは一切語っておられません。
その点、ご承知の上(寛容かつ根気のある方は)お読みください。
● メインストーリーのようなもの
<ヨシダ君の世界>
・「席替え(番外編?)」
部活動も引退し、誰もが志望校目指して勉強に専念する頃。
授業が終われば、皆、そそくさと家に帰る。
教室に残ってだべっている者などいない。
受験前の追い込み時期なのだから、それが普通だ。
が、一人、変わり者がいて、将棋をやろうと誘ってくる奴がいた。
それをことわりきれず、つきあうことに。
対局の最中、相手がトイレに立ったところで、ふと机の裏を覗いたら、
プリクラの写真が貼ってあるのに気づく。
それも見たこともない美少女の写真だ。
(その席は、将棋相手の席ではなく、
クラスメートの某女子の席である。)
美少女に強く心惹かれ、プリクラ写真をはがそうとするも叶わず、
仕方なく、机ごと自分の席に移動させることを企てる。
日を改めた、放課後の将棋タイム。
なかなか席を外さない将棋相手にいらだちつつ、
トイレに行くよう促し、どうにか、一人の時間を確保。
だが、一つ問題があった。
その机の主は「穴を育てるタイプの女子」だったため、
表面には(おそらくコンパス等で掘られたと思われる)
穴があいていた。
そのまま、自分の机と入れ替えたのでは、
(自分の机には穴がないので)ばれてしまう。
どうしたものか?
が、もう一つ、同じような穴のあいた机があった。
その机の主は、女子に人気のモテ男子だ。
たぶん、そいつは、きっと細かいことは気にしないだろう。
と判断し、その机を件の某女子の席に移し、
某女子の机を自分の席に移し、
自分の机をモテ男子の席に移す。
という、入れ替えを行った。
果たして、翌日学校に行ってみると、
モテ男子が「机が変わっている!」と騒ぎ出した。
さらに、件の某女子が、「私の机がもとに戻っている」
とまで言い出した。
どうやら、この二人は密かにつきあっていたのか、
互いの机をこっそり入れ替えていたらしい。
騒動が大きくなり犯行が明かされるのではないか、
と気が気ではない。
授業中は教科書で穴を隠し、どうにかのりきる。
その後、いいアイディアを思いついた。
穴にシールを貼ればいいのだ。
これで、完全犯罪成立。
謎の美少女のプリクラは我が物に。
※
おバカ男子全開のエピソードだ。
机の入れ替えをしたいのなら、誰よりも早く登校すれば、
余裕を持ってできるのではないかと思うのだが、
そこまで思いつかなかったのだろうか?
机の入れ替えに次ぐ入れ替え、で、結局、某女子の机は
元に戻ってしまう、というのが、なんともおかしい。
お互いの持ち物を交換したり、同じ用途の物をプレゼントしあう
というのは若いカップルならありそうな話だ。
まだ金銭的に余裕がない学生なら、その品物は例えば文房具とか、
ちょっと頑張って、アクセサリーとか、時計とか、そんなものだろう。
とにかく、手元においておけるものや、
身に着けられるような小物ではないかと思うのだが。
学校の備品である机を交換って……
ヨージさんワールドならではだ。
この一連の机の入れ替えの話は、人と人が入れ替わる話
(今回で言えば、ヨシダ君とワタナベ君の入れ替わり)
の前段なのかもしれない。
なお、入れ替わり、交換、にまつわる話は過去のヨージさん作品の中でも
頻繁に語られている。
↓その一例(ご参考までに、拙過去記事)
8/20 二人会もよいけれど 独演会開催切に希望
そのバリエーションは色々あるが、入れ替わり、交換は、
ヨージさんワールドを形作る大きな要素ではないかと思われる。
(私が勝手に思っているだけである。)
シールを貼って穴をふさぎ難を逃れる、とは、
「牛ほめ」が元になっているのだろうか?
落語好きらしいヨージさんなら、ありうる話だ。
・「サイクリングブギ(?)」
皆が進学に向けて勉強漬けの毎日を送る中、
ただ一人、別のことを考えている奴がいた。
そいつは「卒業したら自転車で一人旅をする」と公言していた。
周囲に告げるだけではあきたらず、
NHKの、のど自慢に出て、全国的アピールまでしていた。
選んだ曲は大事MANブラザーズバンドの「それが大事」。
選曲理由は、
「サビに入る前に鐘一つで終了になるとかっこ悪い。
この曲なら、いきなりサビがくるから安心だ」
ということだったのだが、
「高価な…」の「こ」あたりで終了になったので、
狙い通り、かっこ悪い、が回避されたわけでもなかった。
歌の後には、
「これから自転車で世界一周(日本一周だったかも、記憶曖昧)に旅立つ」
と宣言していたが、まだ、卒業前だったから、かなりのフライングだ。
しかも、そこまで意気込んでいたのに、サドルを盗まれたため、
生活圏からさして離れることもなく、そいつの自転車一人旅はあっけなく終わる。
<ワタナベ君の世界>
・「♪指のふるえをおさえつつ 僕はダイヤル回したよ」
携帯電話、スマートフォンなど存在しないその昔、
電話と言えば各家庭に固定電話が1台あるだけ、
という時代の話。
クラスの意中の女子宅に勇気を出して電話をかけ、思いを伝えたつもりが、
生憎、その女子が留守であったため、結果、電話口に出た母親に
告白をした形になってしまう。
翌日、この一件について、件の女子が、悪気なく冗談めかした発言をしたところ、
瞬く間に話が広まり、
「クラスメートのお母さんに告白」
という結果的事実だけが独り歩きをし、
ひいては、「人の(家の)お母さんを好きになるヘンタイ男子」というイメージが定着、
長い間、女子からは顧みられない存在となる。
・「♪若い僕らの修学旅行~」
マンモス校に進学。
生徒数が多いため、クラブに入部するにも、希望どおりにいくとは限らない。
人気のあるクラブの選に漏れ、仕方なく鉄道クラブに入部。
(無論、インターネットという概念すらない当時のこと、
部員は必要な情報は時刻表で調べるのだ。)
三年になると、男女二人一組で活動する修学旅行委員という係につく。
ペアの相手は、一日三回は告白されるという校内一の美少女、
全男子のマドンナ的存在。
しかし、彼女と組むのが狙いだったわけではない。
任務が自分の好みに即していたから、この役を選んだに過ぎない。
が、マドンナには、秘めたる思いがあるようだ。
修学旅行では、班行動ではなく、単独行動でやりたいことがある。
自由行動の時間に、旅行先から学校へ寄り、後輩達の前に現れ、驚かせた後、
トンボ帰りで旅行先に戻る、という、自分なりの旅を楽しみたいのだ。
(このアイディアはどうやら、ワタナベ君独自のものではないらしい。
ヨシダ君の世界でも、同様の行動をとった友人のことが話題になるが、
「それは、もともと俺が教えたアイディアだ」と主張する別の人物が現れる。
ヨージさんは、おそらく意図的にだと思うが、
これが誰であるのか、はっきりとわかるようには演じられない。)
そこで、鉄道クラブの顧問の教師に、
旅行先と学校を最短時間で往復できるルートを教わり、計画を実行に移す。
なぜかマドンナも同行し、一人旅のはずが二人旅にはなったが、
個人的メインイベントは無事終了。
※
「クラスメートのお母さんに告白」以降、女子に不人気だった男子が、
なぜか急に校内一の人気者のマドンナに好意を持たれるという不思議。
彼は、どこかのタイミングでパラレルワールドに移行したのだろうか?
私の記憶が確かなら、「自転車で一人旅」のエピソードは、
ワタナベ君の世界でも語られていた。
そして、マドンナがプリクラ写真を撮る場面もあったような…
つまり、ヨシダ君がプリクラ写真で目にした「見たこともない美少女」の正体は、
マドンナではないかと思われる。
この時点で、ヨシダ君はパラレルワールドに移行していたのだろう。
ヨシダ君の世界とワタナベ君の世界は、微妙に重なり、微妙にずれている。
二人はそれと気づかぬまま、互いの世界を行き来しているようだ。
そして、どちらの世界にも、ナレーター兼友人の一人のような形で、
影のごとく登場するのが、ヨージさんである。
とにかく、どちらの世界も、そして、どのキャラクターも境目が曖昧だ。
これは、ヨージさんが意図的になさっていることなのだと思う。
どうか、ヨージさんのことを、上下(かみしも)を上手(じょうず)に
切ることができない、入門したての噺家さんと同じ、
とはお考えになりませんように。
ヨージさんワールドでは、時間、空間を自在に飛び越えて話が進む。
「時間は過去、現在、未来、と直線的に流れているものではない」
「空間は一つではなく、いくつもの層が重なり合うように、
パラレルワールドが存在する」
そういった説にのっとって、話が展開しているようだ。
これを小説で表現するだけでもたいしたものだと思うが、
一人舞台で演じてしまうのだからすごいとしか言いようがない。
● サイドストーリーのようなもの(ほんの数例)
・ 終わりよければすべてよし?
留守番中、夢中でゲームをしていた男子。
外遊びに誘いに来た友人らの呼ぶ声や、チャイムの音にも無反応だ。
翌日、学校で「お前、居留守つかっていただろう」と責められると、
「いるすなんかしてねえよ!」と、何度もむきになって否定する。
その訳は…
<空き巣(あきす)=空き巣狙いの略。
空き巣狙い=家人の留守をねらって盗みに入ること。また、その人。
(デジタル大辞林)>
空き巣については、辞書通りの解釈をしていたが、
居留守(いるす)については、
「住人が中にいるのに、忍びこんで盗みを働くこと」
だと思っていたのだ。
(これは、居空き、の定義である。)
後年、実際に泥棒に入られ、居留守の本来の意味を知ることに。
そして、日記に、「飼い犬が死に、祖母は病気、両親は不仲で離婚の危機……」と
悲劇のオンパレードのような家庭事情を綴る。
偶然、その日記を目にした友人が、心配して尋ねてみると、
「これはフィクション。今度、泥棒に入られても、この日記を読んだら、同情して何も取らずに出ていくだろう」
と、明るく答える。
それから数年後、日記に5万円挟まっているのに気づく男子。
気の毒に思った泥棒が、そっと置いていってくれたらしい。
※
大笑いしたのだが、同時にほのぼのした気持ちにもなった、
ヨージさんらしい優しさがにじみ出ている大好きなネタ。
・ Limahlも吃驚 さらに噺家さんも吃驚
もはや話の前後関係を思い出せないのだが、
強烈に印象に残っているネタ。
腰にトイレットペーパーホルダーを装着したヨージさん登場。
ペーパーを長めに引き出し、うねうねと波打たせながら、
(イメージとしては新体操のリボン演技)
「♪ネバーエンディングストーリー~」
と歌われる。
場内爆笑。
大うけ。
※
トイレットペーパーをファルコンに見立てるとは…
ヨージさんをおいて、ほかの誰も思いつくまい。
まったくもって衝撃的な面白さであった。
即座に反応するお客さんの理解力もすばらしい。
あのシーンをすぐに思い浮かべることができなければ、一回休む、になってしまうのだから。
(気になる方は、検索ワード=Never Ending Storyで、動画サイト等をあたってみてください。)
ヨージさんはかなりの映画ファンだと思われるが、
それをひけらかすようなことをなさらないところが、
また、ヨージさんらしくて好ましい。
また、鉄道に絡むネタもなさるので、結構な鉄道好きでもあると伺えるのだが、
それを前面に押し出すような見せ方はなさらない。
ゆえに、ネタを拝見している時には、観客(=私)は、
ヨージさんの趣味を意識することなく、
ただ、ただ、ネタの面白さに集中してライブを楽しむことができる。
私は、ヨージさんのこうした奥ゆかしさをこよなく愛している。
(恋愛感情ではありません。念のため。)
・ 歴史好きおバカ男子?
小学校時代、近所の(たぶん)おバカ男子、お気に入りの遊び。
五月人形の兜をかぶり、本屋の前にある『小学一年生』ののぼりを自転車に挿し、乗り回す。
そいつは、これを「武田信玄ごっこ」と呼んでいた。
※
そういえば、自分が子供の頃、本屋の店先に『小学一年生』の販促用ののぼり、立っていたなあ。
今はそんな本屋も見かけなくなったけれど。
なんてことを思い出しながら爆笑。
なつかしさと笑いを同時に味わえるのもヨージさんワールドの魅力。
「武田信玄ごっこ」
抜群のネーミングセンスだ。
このネタも場内大うけだった。
・ 女子の理想についての考察
「(年をとったら)かわいいおばあさんになりたい」という女子がいるけれど、
「今がそうではないのに(=かわいくないのに)、おばあさんになって、急にかわいくなれるわけがない」
とは、素のヨージさん的キャラクターのお言葉。
※
鋭い!
かわいいおばあさんの素質がなければ、かわいいおばあさんにはなれませんね。
・ 女子力についての考察
女子が「〇〇ちゃん、女子力高~い!」と言う時、
「自分たちは何もしていないわけではない」
アピールをしているのである。
これも、素のヨージさん的キャラクターのお言葉。
※
つまり、〇〇ちゃんの女子力の高さに気がつけるのであるから、
自分たちは女子力において無能なわけではない、
と、言っているのと同じ、ということだろうか?
〇〇ちゃんを讃えているようでいて、実は、
己のことを売り込みたいうという心理が隠れた言葉?
怖いわ~。
おそらく、ヨージさんは女子力なるものを懐疑的に
見ているのではないかと推察する。
(過去ネタにも、そう想像されるものがあった。)
私自身、女子力という言葉はあるのに、男子力という言葉はないということから見て、
ちょっと差別的ニュアンスのある言葉ではないかと疑っている。
みんな(女子も男子も)、こんな言葉に惑わされずに、好きなように生きたらよろしい、
と思っている。
・ 「関係者」についてのご意見
「ライブをすると、関係者、という立場で、無料で鑑賞に来る同業者が現れる。
今日も芸人仲間や後輩が見に来ているが、
自分のライブの一部始終をタダ見の連中に見せることには抵抗がある。
ここから先は、お金を払ったお客さんだけに見てもらいたいので、
タダ見のみんなには帰ってもらおう。
よく、『勉強させてください』と言って、
袖で見ようとする後輩芸人がいるけれど、
『勉強するなら授業料払え』という話だ」
※
素のヨージさん的キャラクターが、上記のような内容を語りながら、
無料で見ているお仲間を劇場から追い出し、
有料でご覧になっているお客様だけにネタを披露された、
というネタ。
これは、あくまでもそういう演出であって、無論、実際に
同業者のみなさんが途中で帰られたわけではない。
ヨージさんは、お仲間や後輩のことを疎んじるような方ではないだろう。
本当は仲が良いからこそ、同業者のみなさんを、邪険に扱うような
ネタも舞台にかけられるのだと思う。
ただし、私個人は、ヨージさんが語られた内容には
かなりの割合で共感を覚えている。
特に、客席の中でも最も見やすい良い位置に「関係者席」や「招待者席」が
設けられている場合などは、世の中の理不尽さを感じる。
業界人同士で、会のチケットを融通しあう習慣があることくらいは私も承知している。
そういう事情を理解した上でも、お金と時間とエネルギーを使って会を見に来た「有料のお客」より、
普段から付き合いのある、お仲間である「無料のお客」のほうを大事しているのではなかろうか、
と強く感じるような残念な扱いを受けて、モヤモヤした気持ちになることもないわけではない。
(具体的事例を明かすことはできないため、もって回った表現をしておりますこと、
ご容赦ください。)
ヨージさんのこの演出にも、そういうモヤモヤが、多少は含まれていたのではなかろうか。
また、そういうことを感じる芸人さんのほうが、人として信用できる気がする。
こういう習慣に一切の疑問を感じることなく、当然の権利のように、
堂々と良席の関係者席に座れるような御仁のファンにはなりたくないものだ。
● 後書きのようなもの
他にも、男優ばかりが出演する映画「席替え」の予告編とか、
ヨージさんお面屋さんになる(タイトル勝手に命名)とか、
ナイススティックマンとか、なんでもないマンとか、
傑作ネタは数多くあったが、きりがないので、
この辺りで区切りをつけるとしよう。
それにしても、我ながら、一つのネタに対して感想の量が多すぎする、
とは思う。
ネタの説明自体も長い。
これでも、かなり要約して書いているつもりなのだが、
ライブをご覧になっていない方が読まれると、結構な分量と感じられたことだろう。
ヨージさんのネタはとても複雑なうえに、
観客が推察すればすむようなところは
語尾をぼかす、というか、最後まで語られなかったりなさるので、
それらを文章化するためには、自分で話を組み立てなおしたり、
新たに言葉を足さなければならないので、レポート(もどき)
を書くのはとても時間がかかる。
また、単に粗筋を書くだけでは、無味乾燥でまったく面白くなくなるため、
ヨージさんが語られたような言葉遣いを思い出しながら書くため、
(実際には、決して、ライブの忠実な再現ではなく、
私なりに、似たような雰囲気を持つ言葉を選んだにすぎません。)
さらに、時間がかかる。
あー、くたびれた。
ここまで拙文をお読みくださった方も、さぞ、お疲れでしょう。
長々とおつきあいいただき、ありがとうございます。
お終い。
<追記>
ヨージさんの魅力をお知りになりたい方には、私の拙文記事などを読まれるよりも、
実際にヨージさんライブに足を運ばれることをお勧めします。
↓
ヨージのライブの予定
10/2にはツーマンライブがありますよ。
そして、ヨージさんの面白さを文章で楽しみたい方は、百字ネタをご覧ください。
↓
ヨージ
これらの作品を読まれるだけでも、ヨージさんの才能がいかにすばらしいかおわかりになるでしょう。
ヨージさんは、作家(=小説家)としても活躍できる才能をお持ちだと思います。
● 前置きのようなもの
9/8、待望のヨージさん単独ライブ@新宿バティオス鑑賞。
いつもながらとてもSF的な内容。
(同時に、文学的、哲学的、音楽的でもあるが。)
パラレルワールド、タイムトラベル、タイムスリップ、デジャブ、そういう世界観。
二時間半近く、休憩なしでネタぎっしり。
それも、他の人の二倍くらい早口で、
五倍くらい複雑な内容で、
十倍くらいの情報量で、
比類ないくらいの笑いのセンス。
ネタの構造がどこか数学的。
A→A´→B→B´
A∩B →( A∩B)´
のように少し似たような話や、
少し重なる話が徐々に変化しながら、
微妙につながり輪になる。
しかもその輪は、メビウスの帯のようにねじれている感じ。
こういうことを、たった一人で、それも、
お笑い(という言い方はあまり好きではないが、
他に適当な言葉が見つからない。
ヨージさんがなさっていることは、
演芸というくくりとも若干違う気がする。)
という分野でなさっている方は、
ヨージさんをおいて他にいらっしゃらないのではないか?
ヨージさんのなさっていることを音楽の世界で例えるなら、
一人フルオーケストラといったところだろうか。
一人で、管楽器も弦楽器も打楽器も、そして鍵盤楽器も
全て奏でてしまうマルチプレーヤー。
ご本人の見た目や、作品鑑賞後の印象から言えば、
そういう華やかさはないけれど、
(決してけなしているわけではない。)
構造的にはフルオーケストラだと思う。
たまたま、ヨージさん単独ライブの前日に、
現在飛ぶ鳥を落とす勢いの某芸人さんが出演される会を拝見したのだが、
ヨージさんがフルオーケストラなら、
その方はヴァイオリンのソリストだろう。
お客さんはその方の演奏に、第一小節からぐっと引き込まれ、
最終小節まで一切緊張感途切らせることなく、終始耳をそばだて、聞きほれていた。
確かな腕前だ。
文句のつけようがない。
見事なものだと思う。
ただ、楽器は一種類であるから(=話は複雑ではないから)、
観客は演者の名演に身をゆだねていれば、
その演者のすばらしさを、さしたる負荷を感じることなく味わうことができる。
一方、ヨージさんの場合は、楽器は複数であるから(=話が多重構造で複雑であるから)
観客はそれぞれの楽器の一音一音と、
全ての楽器の音が重なり合ったハーモニー、
どちらも聞き分けられる聴力がないと、
ヨージさんワールドを十分に楽しむことはできない。
(身も蓋もない言い方をすれば、ぼんやり聞いていたらなに一つわからない、
ということです。)
というわけで、今回のライブも私の脳味噌の容量をはるかに超えた内容であったため、
私が書き記すことができるのは、ヨージさんが提供してくださった作品全体の
一割にも達していない、極めて貧弱なものである。
また、頭の片隅に残っていたものを、どうにかこうにかつなぎ合わせて
文章化しているものであって、決してライブの正確な記録などではない。
(ヨージさんライブになじみがある方には言うまでもないことであるが)
各エピソードも直線的な時系列で語られてはいない。
それを忠実に再現するのは不可能なので、多少読みやすいように順番は変えてある。
以下の記事をお読みになって、ヨージさんの単独ライブとやらは、
こいつが言うほど大したものではなさそうだと、早合点なさいませんようにお願いいたします。
● 主な登場人物
・ヨージ
ヨージさん演じるところの作中のヨージであることもあれば、
作品の外側に立って話をされる、芸人ヨージさん、
あるいは素に近いヨージさんであることもあるが、
それらの境目は曖昧。
・ヨシダ君
もしかしたら別の名字だったかもしれない。
ヨージさんの作品は話が複雑なうえ、展開が早いので、
細部はおろか、肝心なことさえ忘れてしまう。
ああ、ヨージさんクラスの脳味噌が欲しい。
ともあれ、名無しの権兵衛では不便なので、
拙ブログでは便宜上ヨシダ君にしておく。
あしからず。
・ワタナベ君
この人物は、ヨシダ君と入れ替わるように登場する。
ヨシダ君とワタナベ君は、パラレルワールドを互いに
行き来していたのではなかろうかと思われる。
だが、いつ、どのタイミングで入れ替わっているのかは、
よくわからないまま話が進む。
(私が理解していないだけ、という可能性も大いにあり。)
・マドンナ
この人物は、最初は謎の美少女の肖像という形で登場する。
しばらくは正体不明のままで実態は明かされない。
が、ヨシダ君もしくはワタナベ君がパラレルワールドに出入りしたと思しきあたりで、
謎ではなく、実在する美少女として確かな存在感を示す。
名前もあったはずだが思い出せず。
便宜上マドンナにしておく。
・その他、クラスメート複数
※
なお、私が記憶している限りでは、ヨージさんは作中で
パラレルワールドという言葉は使っておりません。
登場人物がパラレルワールドを行き来したと解釈しているのは、
あくまでも私個人です。
ヨージさんは説明的なことは一切語っておられません。
その点、ご承知の上(寛容かつ根気のある方は)お読みください。
● メインストーリーのようなもの
<ヨシダ君の世界>
・「席替え(番外編?)」
部活動も引退し、誰もが志望校目指して勉強に専念する頃。
授業が終われば、皆、そそくさと家に帰る。
教室に残ってだべっている者などいない。
受験前の追い込み時期なのだから、それが普通だ。
が、一人、変わり者がいて、将棋をやろうと誘ってくる奴がいた。
それをことわりきれず、つきあうことに。
対局の最中、相手がトイレに立ったところで、ふと机の裏を覗いたら、
プリクラの写真が貼ってあるのに気づく。
それも見たこともない美少女の写真だ。
(その席は、将棋相手の席ではなく、
クラスメートの某女子の席である。)
美少女に強く心惹かれ、プリクラ写真をはがそうとするも叶わず、
仕方なく、机ごと自分の席に移動させることを企てる。
日を改めた、放課後の将棋タイム。
なかなか席を外さない将棋相手にいらだちつつ、
トイレに行くよう促し、どうにか、一人の時間を確保。
だが、一つ問題があった。
その机の主は「穴を育てるタイプの女子」だったため、
表面には(おそらくコンパス等で掘られたと思われる)
穴があいていた。
そのまま、自分の机と入れ替えたのでは、
(自分の机には穴がないので)ばれてしまう。
どうしたものか?
が、もう一つ、同じような穴のあいた机があった。
その机の主は、女子に人気のモテ男子だ。
たぶん、そいつは、きっと細かいことは気にしないだろう。
と判断し、その机を件の某女子の席に移し、
某女子の机を自分の席に移し、
自分の机をモテ男子の席に移す。
という、入れ替えを行った。
果たして、翌日学校に行ってみると、
モテ男子が「机が変わっている!」と騒ぎ出した。
さらに、件の某女子が、「私の机がもとに戻っている」
とまで言い出した。
どうやら、この二人は密かにつきあっていたのか、
互いの机をこっそり入れ替えていたらしい。
騒動が大きくなり犯行が明かされるのではないか、
と気が気ではない。
授業中は教科書で穴を隠し、どうにかのりきる。
その後、いいアイディアを思いついた。
穴にシールを貼ればいいのだ。
これで、完全犯罪成立。
謎の美少女のプリクラは我が物に。
※
おバカ男子全開のエピソードだ。
机の入れ替えをしたいのなら、誰よりも早く登校すれば、
余裕を持ってできるのではないかと思うのだが、
そこまで思いつかなかったのだろうか?
机の入れ替えに次ぐ入れ替え、で、結局、某女子の机は
元に戻ってしまう、というのが、なんともおかしい。
お互いの持ち物を交換したり、同じ用途の物をプレゼントしあう
というのは若いカップルならありそうな話だ。
まだ金銭的に余裕がない学生なら、その品物は例えば文房具とか、
ちょっと頑張って、アクセサリーとか、時計とか、そんなものだろう。
とにかく、手元においておけるものや、
身に着けられるような小物ではないかと思うのだが。
学校の備品である机を交換って……
ヨージさんワールドならではだ。
この一連の机の入れ替えの話は、人と人が入れ替わる話
(今回で言えば、ヨシダ君とワタナベ君の入れ替わり)
の前段なのかもしれない。
なお、入れ替わり、交換、にまつわる話は過去のヨージさん作品の中でも
頻繁に語られている。
↓その一例(ご参考までに、拙過去記事)
8/20 二人会もよいけれど 独演会開催切に希望
そのバリエーションは色々あるが、入れ替わり、交換は、
ヨージさんワールドを形作る大きな要素ではないかと思われる。
(私が勝手に思っているだけである。)
シールを貼って穴をふさぎ難を逃れる、とは、
「牛ほめ」が元になっているのだろうか?
落語好きらしいヨージさんなら、ありうる話だ。
・「サイクリングブギ(?)」
皆が進学に向けて勉強漬けの毎日を送る中、
ただ一人、別のことを考えている奴がいた。
そいつは「卒業したら自転車で一人旅をする」と公言していた。
周囲に告げるだけではあきたらず、
NHKの、のど自慢に出て、全国的アピールまでしていた。
選んだ曲は大事MANブラザーズバンドの「それが大事」。
選曲理由は、
「サビに入る前に鐘一つで終了になるとかっこ悪い。
この曲なら、いきなりサビがくるから安心だ」
ということだったのだが、
「高価な…」の「こ」あたりで終了になったので、
狙い通り、かっこ悪い、が回避されたわけでもなかった。
歌の後には、
「これから自転車で世界一周(日本一周だったかも、記憶曖昧)に旅立つ」
と宣言していたが、まだ、卒業前だったから、かなりのフライングだ。
しかも、そこまで意気込んでいたのに、サドルを盗まれたため、
生活圏からさして離れることもなく、そいつの自転車一人旅はあっけなく終わる。
<ワタナベ君の世界>
・「♪指のふるえをおさえつつ 僕はダイヤル回したよ」
携帯電話、スマートフォンなど存在しないその昔、
電話と言えば各家庭に固定電話が1台あるだけ、
という時代の話。
クラスの意中の女子宅に勇気を出して電話をかけ、思いを伝えたつもりが、
生憎、その女子が留守であったため、結果、電話口に出た母親に
告白をした形になってしまう。
翌日、この一件について、件の女子が、悪気なく冗談めかした発言をしたところ、
瞬く間に話が広まり、
「クラスメートのお母さんに告白」
という結果的事実だけが独り歩きをし、
ひいては、「人の(家の)お母さんを好きになるヘンタイ男子」というイメージが定着、
長い間、女子からは顧みられない存在となる。
・「♪若い僕らの修学旅行~」
マンモス校に進学。
生徒数が多いため、クラブに入部するにも、希望どおりにいくとは限らない。
人気のあるクラブの選に漏れ、仕方なく鉄道クラブに入部。
(無論、インターネットという概念すらない当時のこと、
部員は必要な情報は時刻表で調べるのだ。)
三年になると、男女二人一組で活動する修学旅行委員という係につく。
ペアの相手は、一日三回は告白されるという校内一の美少女、
全男子のマドンナ的存在。
しかし、彼女と組むのが狙いだったわけではない。
任務が自分の好みに即していたから、この役を選んだに過ぎない。
が、マドンナには、秘めたる思いがあるようだ。
修学旅行では、班行動ではなく、単独行動でやりたいことがある。
自由行動の時間に、旅行先から学校へ寄り、後輩達の前に現れ、驚かせた後、
トンボ帰りで旅行先に戻る、という、自分なりの旅を楽しみたいのだ。
(このアイディアはどうやら、ワタナベ君独自のものではないらしい。
ヨシダ君の世界でも、同様の行動をとった友人のことが話題になるが、
「それは、もともと俺が教えたアイディアだ」と主張する別の人物が現れる。
ヨージさんは、おそらく意図的にだと思うが、
これが誰であるのか、はっきりとわかるようには演じられない。)
そこで、鉄道クラブの顧問の教師に、
旅行先と学校を最短時間で往復できるルートを教わり、計画を実行に移す。
なぜかマドンナも同行し、一人旅のはずが二人旅にはなったが、
個人的メインイベントは無事終了。
※
「クラスメートのお母さんに告白」以降、女子に不人気だった男子が、
なぜか急に校内一の人気者のマドンナに好意を持たれるという不思議。
彼は、どこかのタイミングでパラレルワールドに移行したのだろうか?
私の記憶が確かなら、「自転車で一人旅」のエピソードは、
ワタナベ君の世界でも語られていた。
そして、マドンナがプリクラ写真を撮る場面もあったような…
つまり、ヨシダ君がプリクラ写真で目にした「見たこともない美少女」の正体は、
マドンナではないかと思われる。
この時点で、ヨシダ君はパラレルワールドに移行していたのだろう。
ヨシダ君の世界とワタナベ君の世界は、微妙に重なり、微妙にずれている。
二人はそれと気づかぬまま、互いの世界を行き来しているようだ。
そして、どちらの世界にも、ナレーター兼友人の一人のような形で、
影のごとく登場するのが、ヨージさんである。
とにかく、どちらの世界も、そして、どのキャラクターも境目が曖昧だ。
これは、ヨージさんが意図的になさっていることなのだと思う。
どうか、ヨージさんのことを、上下(かみしも)を上手(じょうず)に
切ることができない、入門したての噺家さんと同じ、
とはお考えになりませんように。
ヨージさんワールドでは、時間、空間を自在に飛び越えて話が進む。
「時間は過去、現在、未来、と直線的に流れているものではない」
「空間は一つではなく、いくつもの層が重なり合うように、
パラレルワールドが存在する」
そういった説にのっとって、話が展開しているようだ。
これを小説で表現するだけでもたいしたものだと思うが、
一人舞台で演じてしまうのだからすごいとしか言いようがない。
● サイドストーリーのようなもの(ほんの数例)
・ 終わりよければすべてよし?
留守番中、夢中でゲームをしていた男子。
外遊びに誘いに来た友人らの呼ぶ声や、チャイムの音にも無反応だ。
翌日、学校で「お前、居留守つかっていただろう」と責められると、
「いるすなんかしてねえよ!」と、何度もむきになって否定する。
その訳は…
<空き巣(あきす)=空き巣狙いの略。
空き巣狙い=家人の留守をねらって盗みに入ること。また、その人。
(デジタル大辞林)>
空き巣については、辞書通りの解釈をしていたが、
居留守(いるす)については、
「住人が中にいるのに、忍びこんで盗みを働くこと」
だと思っていたのだ。
(これは、居空き、の定義である。)
後年、実際に泥棒に入られ、居留守の本来の意味を知ることに。
そして、日記に、「飼い犬が死に、祖母は病気、両親は不仲で離婚の危機……」と
悲劇のオンパレードのような家庭事情を綴る。
偶然、その日記を目にした友人が、心配して尋ねてみると、
「これはフィクション。今度、泥棒に入られても、この日記を読んだら、同情して何も取らずに出ていくだろう」
と、明るく答える。
それから数年後、日記に5万円挟まっているのに気づく男子。
気の毒に思った泥棒が、そっと置いていってくれたらしい。
※
大笑いしたのだが、同時にほのぼのした気持ちにもなった、
ヨージさんらしい優しさがにじみ出ている大好きなネタ。
・ Limahlも吃驚 さらに噺家さんも吃驚
もはや話の前後関係を思い出せないのだが、
強烈に印象に残っているネタ。
腰にトイレットペーパーホルダーを装着したヨージさん登場。
ペーパーを長めに引き出し、うねうねと波打たせながら、
(イメージとしては新体操のリボン演技)
「♪ネバーエンディングストーリー~」
と歌われる。
場内爆笑。
大うけ。
※
トイレットペーパーをファルコンに見立てるとは…
ヨージさんをおいて、ほかの誰も思いつくまい。
まったくもって衝撃的な面白さであった。
即座に反応するお客さんの理解力もすばらしい。
あのシーンをすぐに思い浮かべることができなければ、一回休む、になってしまうのだから。
(気になる方は、検索ワード=Never Ending Storyで、動画サイト等をあたってみてください。)
ヨージさんはかなりの映画ファンだと思われるが、
それをひけらかすようなことをなさらないところが、
また、ヨージさんらしくて好ましい。
また、鉄道に絡むネタもなさるので、結構な鉄道好きでもあると伺えるのだが、
それを前面に押し出すような見せ方はなさらない。
ゆえに、ネタを拝見している時には、観客(=私)は、
ヨージさんの趣味を意識することなく、
ただ、ただ、ネタの面白さに集中してライブを楽しむことができる。
私は、ヨージさんのこうした奥ゆかしさをこよなく愛している。
(恋愛感情ではありません。念のため。)
・ 歴史好きおバカ男子?
小学校時代、近所の(たぶん)おバカ男子、お気に入りの遊び。
五月人形の兜をかぶり、本屋の前にある『小学一年生』ののぼりを自転車に挿し、乗り回す。
そいつは、これを「武田信玄ごっこ」と呼んでいた。
※
そういえば、自分が子供の頃、本屋の店先に『小学一年生』の販促用ののぼり、立っていたなあ。
今はそんな本屋も見かけなくなったけれど。
なんてことを思い出しながら爆笑。
なつかしさと笑いを同時に味わえるのもヨージさんワールドの魅力。
「武田信玄ごっこ」
抜群のネーミングセンスだ。
このネタも場内大うけだった。
・ 女子の理想についての考察
「(年をとったら)かわいいおばあさんになりたい」という女子がいるけれど、
「今がそうではないのに(=かわいくないのに)、おばあさんになって、急にかわいくなれるわけがない」
とは、素のヨージさん的キャラクターのお言葉。
※
鋭い!
かわいいおばあさんの素質がなければ、かわいいおばあさんにはなれませんね。
・ 女子力についての考察
女子が「〇〇ちゃん、女子力高~い!」と言う時、
「自分たちは何もしていないわけではない」
アピールをしているのである。
これも、素のヨージさん的キャラクターのお言葉。
※
つまり、〇〇ちゃんの女子力の高さに気がつけるのであるから、
自分たちは女子力において無能なわけではない、
と、言っているのと同じ、ということだろうか?
〇〇ちゃんを讃えているようでいて、実は、
己のことを売り込みたいうという心理が隠れた言葉?
怖いわ~。
おそらく、ヨージさんは女子力なるものを懐疑的に
見ているのではないかと推察する。
(過去ネタにも、そう想像されるものがあった。)
私自身、女子力という言葉はあるのに、男子力という言葉はないということから見て、
ちょっと差別的ニュアンスのある言葉ではないかと疑っている。
みんな(女子も男子も)、こんな言葉に惑わされずに、好きなように生きたらよろしい、
と思っている。
・ 「関係者」についてのご意見
「ライブをすると、関係者、という立場で、無料で鑑賞に来る同業者が現れる。
今日も芸人仲間や後輩が見に来ているが、
自分のライブの一部始終をタダ見の連中に見せることには抵抗がある。
ここから先は、お金を払ったお客さんだけに見てもらいたいので、
タダ見のみんなには帰ってもらおう。
よく、『勉強させてください』と言って、
袖で見ようとする後輩芸人がいるけれど、
『勉強するなら授業料払え』という話だ」
※
素のヨージさん的キャラクターが、上記のような内容を語りながら、
無料で見ているお仲間を劇場から追い出し、
有料でご覧になっているお客様だけにネタを披露された、
というネタ。
これは、あくまでもそういう演出であって、無論、実際に
同業者のみなさんが途中で帰られたわけではない。
ヨージさんは、お仲間や後輩のことを疎んじるような方ではないだろう。
本当は仲が良いからこそ、同業者のみなさんを、邪険に扱うような
ネタも舞台にかけられるのだと思う。
ただし、私個人は、ヨージさんが語られた内容には
かなりの割合で共感を覚えている。
特に、客席の中でも最も見やすい良い位置に「関係者席」や「招待者席」が
設けられている場合などは、世の中の理不尽さを感じる。
業界人同士で、会のチケットを融通しあう習慣があることくらいは私も承知している。
そういう事情を理解した上でも、お金と時間とエネルギーを使って会を見に来た「有料のお客」より、
普段から付き合いのある、お仲間である「無料のお客」のほうを大事しているのではなかろうか、
と強く感じるような残念な扱いを受けて、モヤモヤした気持ちになることもないわけではない。
(具体的事例を明かすことはできないため、もって回った表現をしておりますこと、
ご容赦ください。)
ヨージさんのこの演出にも、そういうモヤモヤが、多少は含まれていたのではなかろうか。
また、そういうことを感じる芸人さんのほうが、人として信用できる気がする。
こういう習慣に一切の疑問を感じることなく、当然の権利のように、
堂々と良席の関係者席に座れるような御仁のファンにはなりたくないものだ。
● 後書きのようなもの
他にも、男優ばかりが出演する映画「席替え」の予告編とか、
ヨージさんお面屋さんになる(タイトル勝手に命名)とか、
ナイススティックマンとか、なんでもないマンとか、
傑作ネタは数多くあったが、きりがないので、
この辺りで区切りをつけるとしよう。
それにしても、我ながら、一つのネタに対して感想の量が多すぎする、
とは思う。
ネタの説明自体も長い。
これでも、かなり要約して書いているつもりなのだが、
ライブをご覧になっていない方が読まれると、結構な分量と感じられたことだろう。
ヨージさんのネタはとても複雑なうえに、
観客が推察すればすむようなところは
語尾をぼかす、というか、最後まで語られなかったりなさるので、
それらを文章化するためには、自分で話を組み立てなおしたり、
新たに言葉を足さなければならないので、レポート(もどき)
を書くのはとても時間がかかる。
また、単に粗筋を書くだけでは、無味乾燥でまったく面白くなくなるため、
ヨージさんが語られたような言葉遣いを思い出しながら書くため、
(実際には、決して、ライブの忠実な再現ではなく、
私なりに、似たような雰囲気を持つ言葉を選んだにすぎません。)
さらに、時間がかかる。
あー、くたびれた。
ここまで拙文をお読みくださった方も、さぞ、お疲れでしょう。
長々とおつきあいいただき、ありがとうございます。
お終い。
<追記>
ヨージさんの魅力をお知りになりたい方には、私の拙文記事などを読まれるよりも、
実際にヨージさんライブに足を運ばれることをお勧めします。
↓
ヨージのライブの予定
10/2にはツーマンライブがありますよ。
そして、ヨージさんの面白さを文章で楽しみたい方は、百字ネタをご覧ください。
↓
ヨージ
これらの作品を読まれるだけでも、ヨージさんの才能がいかにすばらしいかおわかりになるでしょう。
ヨージさんは、作家(=小説家)としても活躍できる才能をお持ちだと思います。
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