2021年03月16日(火) コメント:0 トラックバック:0
ワン・モア・ライフ鑑賞。
日本公式サイト
イタリア版予告編↓
MOMENTI DI TRASCURABILE FELICITÀ di Daniele Luchetti con Pif (2019) - Trailer ufficiale HD
MOMENTI DI TRASCURABILE FELICITÀ | Clip e Trailer Compilation del film con Pif
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3/12公開『ワン・モア・ライフ!』-ダニエーレ・ルケッティ監督が語る余命92分のダメ親父とイタリアの家族
92分だけ寿命を延長された男は、人生をやり直せるのか。別の結末も撮っていた『ワン・モア・ライフ!』
そもそも、なぜこの映画を観ようと思ったかと言えば、お話の舞台がシチリアだったからだ。
シチリアは訪れてみたい土地の一つなのである。
なぜ訪れたいかと言えば、かの地に私の好きな帽子メーカーの本店があるからだ。
(ただし、非常に残念かつ悲しいことに、このメーカーのデザイナー兼CEOの女性が一昨年亡くなられたそうで、
今は別の会社に引き継がれているとのこと。)
無論、美しい風景、建造物も愛でてみたい。
おいしいイタリア料理も食べてみたい、という思いもある。
チラシには「本国イタリアで大ヒット!!」とあった。
でも、ただの宣伝文句かもしれない
あるいは、それが本当でイタリアでは高評価だったとしても、日本人の好みに合うかどうかはわからない。
だから、過大な期待は抱かない。
この映画の出来はいかほどかはわからないが、少なくともシチリアの景色は眺められるのだろうから
それだけでも御の字だと思い、出かけることにしたのである。
また、チラシのコピーには
「人生のロスタイムを手に入れたダメおやじの92分一本勝負!
愛と感謝と懺悔のイタリアン疾走コメディ!」
ともあった。
さすがコピーライター、上手いことまとめてるわ。
とは思ったものの、微妙に私の鑑賞後の印象とは違う気もする。
「ダメおやじ」というと、つい古谷三敏の漫画(思い切り昭和!)を思い出してしまうのだが、
主人公のパオロはそういうタイプのおじさんではない。
所謂窓際族(死語?)ではなく、自分の欲求を満たすこと、楽しみを追求することにおいては貪欲な行動派だ。
仕事上の責務も立派に果たしている様子が伺える。
ただし、自分の望みには忠実だが、人の意向も同様に尊重する配慮には欠けている。
つまり他者の気持ちにあまり思いが至らない。
家族のことを愛してはいるのだが、その割には共に過ごす時間を大切にしようという姿勢があまり見えない。
妻の方がたぶん人として器が大きいし、娘の方が真面目でずっと大人だ。
年齢はおじさんだけど、精神的には幼い子供のようだ。
これは誉め言葉ではなくて、未熟と言う意味ですよ。
配偶者以外の相手と過ちを犯し、罪の意識を味わい、後悔と共に関係を断ったはずなのに
(ただし、それは主にお相手の方)、性懲りもなく同じようなことを繰り返すだらしのなさ。
女性と戯れることにさしたる躊躇もなく、まるで隙間時間を埋めるように、
三時のおやつをつまむような気軽さで逢引を重ねているように見える。
家庭を壊す気は毛頭ない。
でも、ちょっとしたお楽しみは味わいたい。
どちらも手放したくはない。
そう思っているのではなかろうか。
随分と虫のいい話である。
これでは娘から冷たくされても仕方あるまい。
(娘が父親の行動をどこまで知っているのかはわからないが。)
ともかく、模範的な夫でも、理想的な父親でもない、欠点の多い人物ではあるが、
なにしろイタリア人なので、日本語で言う「ダメおやじ」のイメージとは違うのだ。
それに、鑑賞中はパオロのいい加減さが目について、「もっとしっかりしたらいかがですか?」と
思っていたのだが、しばらくして冷静になって反芻してみると、彼が人並みはずれて
「ダメおやじ」というわけではないようにも思えてきた。
人間なんて多かれ少なかれこんなものではないのかと。
勤め先の仕事はきちんとこなすけれど、家事と育児は妻に任せきり、なんて御仁は
日本にもゴロゴロいるだろう。
パオロの場合、その点に気づいてやり直そうとしている分だけ救いがある。
私自身のことを振り返ってみても、彼のような色恋沙汰の誘惑とは無縁だが、
真夏の夜の帰り道、コンビニアイスの誘惑には度々負けていた。
こんな時間にこんなものを買っていてはいけない、それくらはわかっている。
でも、自制がきかない情けなさ。
ダメ人間だもの。
「負けていた」と過去形なのは、今はそういう悪習からは脱したからだが、
その訳は、件のコンビニが閉店して、高齢者向けのリハビリ施設に変わったからであって、
決して私の自制心が向上して、意志強固になったわけではない。
実を言うと、夜のアイスの誘惑に負けることを、
日々の暮らしの中のささやかな幸せのように感じていたくらいなので、
コンビニが無くなった時は、ちょっとガッカリしたものだ。
背徳的な秘かな愉しみに耽溺するという点ではパオロと大差なし。
他人様のことはとやかく言えないのである。
総じて、パオロは「ダメおやじ」というよりも、落語の中の登場人物のように、
あちこちに凸凹や綻びがある、愚かしくもあり、愛らしくもある、
不完全な人間の一人と見る方が私にはしっくりくる。
「疾走コメディ」と言うのも、爆笑シーンの連続、とか、(例えば)ギャグ百連発、のような派手な展開を想像すると肩透かしをくらう。
スクーターで疾走するシーンはありますけどね。
92分でこれまでの人生を回想したり、やり残したことを大急ぎで果たさなければならないので、
そういう意味では忙しいけど。
抱腹絶倒の喜劇ではない。
でも、台詞の一言一言に味わいがあり、哲学的なユーモアが感じられる。
そんな映画だと私は思う。
私は十分楽しめたし、こういう台詞が面白い作品は好きだ。
数ある台詞の中で心に残ったもの、ほんの一例を挙げるなら、妻のアガタが漏らしたこの言葉。
「好きな人の嫌いな面を除いてしまうと、好きな面まで消えてしまう」
(正確な表現は忘れました。おおよそ、こんなことを言ったのだとお考え下さい。)
この言葉で、アガタはまだ完全にパオロに愛想をつかしてしまったわけではないことがわかる。
欠点の多い夫ではあるが、それでも、その欠点がわかった上で、夫の人格を丸ごと認めているのだと。
(「その人のことを丸ごと愛する」というような台詞もどこかにあったような気がする。定かではないが。
記憶違いだったらごめんなさい。)
そうそう。人間なんて多面体なんだから、いいとこどりなんてできないものね。
長所と短所は裏腹で、光の当て方によって、どちらにも見える。
それに、料理の世界で言う「灰汁も味のうち」ではないけれど、
人のアクも全て抜いてしまうと、きっと面白味のないのっぺらぼうになってしまうだろう。
作品の原題はMOMENTI DI TRASCURABILE FELICITÀ 。
エキサイト翻訳で直訳すると「無視できる幸福の瞬間」となり、
意訳では「取るに足らない幸せの瞬間」らしい。
英題は「ORDINARY HAPPINESS」。
エキサイト翻訳の直訳では「普通の幸福」と出てきたが、
この場合のORDINARYの意味は、原題から推測するに「普通」と言うよりも「並以下」ととらえた方がよさそうだ。
となると「何気ない幸せ」くらいの意味ではないかと。
邦題の「ワン・モア・ライフ!」はわかりやすいけれど
原題や英題のほうが、作品全体を見渡した時のイメージには近いように感じる。
しかし、日本でこのタイトルで上映しても、地味すぎて集客望めないのだろう。
ともあれ、内容については人それぞれ好みがあるだろうが、美しい風景や建造物やインテリアを愛でることができ、
女性陣のおしゃれなファッションも楽しめるので、それだけでも観て損はないと思った次第。
ああ、イタリア人の美的センスってすばらしいわ、としみじみ感じたのであった。
それにしてもシチリアでもどこでも、心おきなく旅に出かけられるようになるのは
いつのことやら。
日本公式サイト
イタリア版予告編↓
MOMENTI DI TRASCURABILE FELICITÀ di Daniele Luchetti con Pif (2019) - Trailer ufficiale HD
MOMENTI DI TRASCURABILE FELICITÀ | Clip e Trailer Compilation del film con Pif
【おすぎの新作映画評論🎥✨】#ワンモアライフ
Cinemarche記事↓
映画『ワン・モア・ライフ!』あらすじ感想と評価レビュー。家族の絆を取り戻そうとする男の92分の人生ドラマ
週刊朝日 2021年3月12日号↓
ダメおやじの寿命が「92分」だけ延長され…イタリア発の人生やり直しコメディ〈週刊朝日〉
女子SPA!記事↓
「不倫はいいけど、離婚は悪いこと」イタリア人の謎すぎる結婚観
監督インタビュー記事↓
3/12公開『ワン・モア・ライフ!』-ダニエーレ・ルケッティ監督が語る余命92分のダメ親父とイタリアの家族
92分だけ寿命を延長された男は、人生をやり直せるのか。別の結末も撮っていた『ワン・モア・ライフ!』
そもそも、なぜこの映画を観ようと思ったかと言えば、お話の舞台がシチリアだったからだ。
シチリアは訪れてみたい土地の一つなのである。
なぜ訪れたいかと言えば、かの地に私の好きな帽子メーカーの本店があるからだ。
(ただし、非常に残念かつ悲しいことに、このメーカーのデザイナー兼CEOの女性が一昨年亡くなられたそうで、
今は別の会社に引き継がれているとのこと。)
無論、美しい風景、建造物も愛でてみたい。
おいしいイタリア料理も食べてみたい、という思いもある。
チラシには「本国イタリアで大ヒット!!」とあった。
でも、ただの宣伝文句かもしれない
あるいは、それが本当でイタリアでは高評価だったとしても、日本人の好みに合うかどうかはわからない。
だから、過大な期待は抱かない。
この映画の出来はいかほどかはわからないが、少なくともシチリアの景色は眺められるのだろうから
それだけでも御の字だと思い、出かけることにしたのである。
また、チラシのコピーには
「人生のロスタイムを手に入れたダメおやじの92分一本勝負!
愛と感謝と懺悔のイタリアン疾走コメディ!」
ともあった。
さすがコピーライター、上手いことまとめてるわ。
とは思ったものの、微妙に私の鑑賞後の印象とは違う気もする。
「ダメおやじ」というと、つい古谷三敏の漫画(思い切り昭和!)を思い出してしまうのだが、
主人公のパオロはそういうタイプのおじさんではない。
所謂窓際族(死語?)ではなく、自分の欲求を満たすこと、楽しみを追求することにおいては貪欲な行動派だ。
仕事上の責務も立派に果たしている様子が伺える。
ただし、自分の望みには忠実だが、人の意向も同様に尊重する配慮には欠けている。
つまり他者の気持ちにあまり思いが至らない。
家族のことを愛してはいるのだが、その割には共に過ごす時間を大切にしようという姿勢があまり見えない。
妻の方がたぶん人として器が大きいし、娘の方が真面目でずっと大人だ。
年齢はおじさんだけど、精神的には幼い子供のようだ。
これは誉め言葉ではなくて、未熟と言う意味ですよ。
配偶者以外の相手と過ちを犯し、罪の意識を味わい、後悔と共に関係を断ったはずなのに
(ただし、それは主にお相手の方)、性懲りもなく同じようなことを繰り返すだらしのなさ。
女性と戯れることにさしたる躊躇もなく、まるで隙間時間を埋めるように、
三時のおやつをつまむような気軽さで逢引を重ねているように見える。
家庭を壊す気は毛頭ない。
でも、ちょっとしたお楽しみは味わいたい。
どちらも手放したくはない。
そう思っているのではなかろうか。
随分と虫のいい話である。
これでは娘から冷たくされても仕方あるまい。
(娘が父親の行動をどこまで知っているのかはわからないが。)
ともかく、模範的な夫でも、理想的な父親でもない、欠点の多い人物ではあるが、
なにしろイタリア人なので、日本語で言う「ダメおやじ」のイメージとは違うのだ。
それに、鑑賞中はパオロのいい加減さが目について、「もっとしっかりしたらいかがですか?」と
思っていたのだが、しばらくして冷静になって反芻してみると、彼が人並みはずれて
「ダメおやじ」というわけではないようにも思えてきた。
人間なんて多かれ少なかれこんなものではないのかと。
勤め先の仕事はきちんとこなすけれど、家事と育児は妻に任せきり、なんて御仁は
日本にもゴロゴロいるだろう。
パオロの場合、その点に気づいてやり直そうとしている分だけ救いがある。
私自身のことを振り返ってみても、彼のような色恋沙汰の誘惑とは無縁だが、
真夏の夜の帰り道、コンビニアイスの誘惑には度々負けていた。
こんな時間にこんなものを買っていてはいけない、それくらはわかっている。
でも、自制がきかない情けなさ。
ダメ人間だもの。
「負けていた」と過去形なのは、今はそういう悪習からは脱したからだが、
その訳は、件のコンビニが閉店して、高齢者向けのリハビリ施設に変わったからであって、
決して私の自制心が向上して、意志強固になったわけではない。
実を言うと、夜のアイスの誘惑に負けることを、
日々の暮らしの中のささやかな幸せのように感じていたくらいなので、
コンビニが無くなった時は、ちょっとガッカリしたものだ。
背徳的な秘かな愉しみに耽溺するという点ではパオロと大差なし。
他人様のことはとやかく言えないのである。
総じて、パオロは「ダメおやじ」というよりも、落語の中の登場人物のように、
あちこちに凸凹や綻びがある、愚かしくもあり、愛らしくもある、
不完全な人間の一人と見る方が私にはしっくりくる。
「疾走コメディ」と言うのも、爆笑シーンの連続、とか、(例えば)ギャグ百連発、のような派手な展開を想像すると肩透かしをくらう。
スクーターで疾走するシーンはありますけどね。
92分でこれまでの人生を回想したり、やり残したことを大急ぎで果たさなければならないので、
そういう意味では忙しいけど。
抱腹絶倒の喜劇ではない。
でも、台詞の一言一言に味わいがあり、哲学的なユーモアが感じられる。
そんな映画だと私は思う。
私は十分楽しめたし、こういう台詞が面白い作品は好きだ。
数ある台詞の中で心に残ったもの、ほんの一例を挙げるなら、妻のアガタが漏らしたこの言葉。
「好きな人の嫌いな面を除いてしまうと、好きな面まで消えてしまう」
(正確な表現は忘れました。おおよそ、こんなことを言ったのだとお考え下さい。)
この言葉で、アガタはまだ完全にパオロに愛想をつかしてしまったわけではないことがわかる。
欠点の多い夫ではあるが、それでも、その欠点がわかった上で、夫の人格を丸ごと認めているのだと。
(「その人のことを丸ごと愛する」というような台詞もどこかにあったような気がする。定かではないが。
記憶違いだったらごめんなさい。)
そうそう。人間なんて多面体なんだから、いいとこどりなんてできないものね。
長所と短所は裏腹で、光の当て方によって、どちらにも見える。
それに、料理の世界で言う「灰汁も味のうち」ではないけれど、
人のアクも全て抜いてしまうと、きっと面白味のないのっぺらぼうになってしまうだろう。
作品の原題はMOMENTI DI TRASCURABILE FELICITÀ 。
エキサイト翻訳で直訳すると「無視できる幸福の瞬間」となり、
意訳では「取るに足らない幸せの瞬間」らしい。
英題は「ORDINARY HAPPINESS」。
エキサイト翻訳の直訳では「普通の幸福」と出てきたが、
この場合のORDINARYの意味は、原題から推測するに「普通」と言うよりも「並以下」ととらえた方がよさそうだ。
となると「何気ない幸せ」くらいの意味ではないかと。
邦題の「ワン・モア・ライフ!」はわかりやすいけれど
原題や英題のほうが、作品全体を見渡した時のイメージには近いように感じる。
しかし、日本でこのタイトルで上映しても、地味すぎて集客望めないのだろう。
ともあれ、内容については人それぞれ好みがあるだろうが、美しい風景や建造物やインテリアを愛でることができ、
女性陣のおしゃれなファッションも楽しめるので、それだけでも観て損はないと思った次第。
ああ、イタリア人の美的センスってすばらしいわ、としみじみ感じたのであった。
それにしてもシチリアでもどこでも、心おきなく旅に出かけられるようになるのは
いつのことやら。
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