2021年08月03日(火) コメント:0 トラックバック:0
なぜ私が、さして愉快でもない目撃談(=劇場に潜んでいた痴漢男)と、
体験談(=中二に出遭ったスカートめくり男子)についてを長々と語っているかと言えば、
これらの事柄は、作中でキャシーが経験したことと根っこは同じだと感じているからだ。
スカートめくりも、痴漢も、許されざる行為、犯罪だという確固たる認識が
あまねく浸透しているような世の中であれば、
当然、キャシーがあのような出来事に遭遇することはないだろうし、
その後、あのような行動をとるに至ることもなかったはずだ。
詳しいことが書けないのがもどかしいが、とにかく、スカートめくりであれ、痴漢であれ、
キャシーが経験したようなことであれ、被害者を泣き寝入りにすべきではない。
当事者を蚊帳の外に置いて、他者が勝手に、許す、許さないの判断を下すのは、
まことに理不尽である。
加害者の方により温情をかけ、被害者に冷淡な、あるいは被害者を置き去りにするような
世の中であってほしくない。
といったことを、鑑賞後にあれこれ思ったわけである。
(本当、ネタバレしないように書くのは難しいですね。)
そして、この先の話題は、作品鑑賞の楽しみを奪うことになりかねませんので、
少しでも事前情報を仕入れたくない方は、ここでお読みになるのを止められた方がよろしいかと存じます。
*******************************************
作中、キャシーが天使に見えるように撮られているシーンが複数あった。
キャシーのことを「復讐の天使」と表現しているレビューを見かけたが、
私は、復讐の天使、と言うよりは、裁きの天使、ではないかと思っている。
公的な裁きでは正義がなされなかったからこそ、
キャシー自らが、裁きの天使、になることを決意したのだろうと。
裁きの天使、ウリエルについて、参考資料。↓
(ウィキペディア情報)
ウリエル
(世界雑学ノート)
大天使ウリエルとは?
(親切な方のブログ記事)
大天使ウリエルの役目や方位・色・伝説・特徴・意味を解説
ウィキペディアによれば、
「新約聖書外典『ペトロの黙示録』でウリエルは懺悔の天使として現われ、
神を冒瀆する者を永久の業火で焼き、不敬者を舌で吊り上げて火であぶり、
地獄の罪人たちを散々苦しめるという」
とあり、罪人には厳しい存在であるらしい。
また、親切な方のブログ記事には、
「太陽に最も近い大天使ウリエルは、強力なパワーを持った天使です。
その光は善悪をはっきりと照らし出し、物事の本質を明らかにします。
また、罪人には厳しい裁きと制裁を下す一方、善良な人には救いの手を差し伸べて助け出します。」
とある。
いかにも、キャシーは己の罪を認めようとしない人物には徹底的に厳しく、
良心を失わなかった人物には優しく接していた。
過去の過ちを深く悔い罪を告白する人物の前では、
キャシーは聖母マリアのようにも見えた。
あれは明らかに懺悔の場面だった。
キャシーは、裁き、懺悔の天使ウリエルであり、聖母マリアでもあるということか。
また、冒頭近くのシーンでは、十字架に架けられたキリストのようにも見えた。
あの場面は、エンディングにつながる伏線の意味もあったのか?
キャシーには、己を犠牲にしてでも、愛する者、善なる者の魂を救いたいという強い思い、
覚悟のようなものがあったのだろう。
その他の場面では、およそ聖なる存在とは程遠い行動が目立つせいか、
「主人公に感情移入できなかった」
という感想も見かけた。
彼女は一言では語れない、多くの顔を持った複雑なキャラクターだと思う。
体験談(=中二に出遭ったスカートめくり男子)についてを長々と語っているかと言えば、
これらの事柄は、作中でキャシーが経験したことと根っこは同じだと感じているからだ。
スカートめくりも、痴漢も、許されざる行為、犯罪だという確固たる認識が
あまねく浸透しているような世の中であれば、
当然、キャシーがあのような出来事に遭遇することはないだろうし、
その後、あのような行動をとるに至ることもなかったはずだ。
詳しいことが書けないのがもどかしいが、とにかく、スカートめくりであれ、痴漢であれ、
キャシーが経験したようなことであれ、被害者を泣き寝入りにすべきではない。
当事者を蚊帳の外に置いて、他者が勝手に、許す、許さないの判断を下すのは、
まことに理不尽である。
加害者の方により温情をかけ、被害者に冷淡な、あるいは被害者を置き去りにするような
世の中であってほしくない。
といったことを、鑑賞後にあれこれ思ったわけである。
(本当、ネタバレしないように書くのは難しいですね。)
そして、この先の話題は、作品鑑賞の楽しみを奪うことになりかねませんので、
少しでも事前情報を仕入れたくない方は、ここでお読みになるのを止められた方がよろしいかと存じます。
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作中、キャシーが天使に見えるように撮られているシーンが複数あった。
キャシーのことを「復讐の天使」と表現しているレビューを見かけたが、
私は、復讐の天使、と言うよりは、裁きの天使、ではないかと思っている。
公的な裁きでは正義がなされなかったからこそ、
キャシー自らが、裁きの天使、になることを決意したのだろうと。
裁きの天使、ウリエルについて、参考資料。↓
(ウィキペディア情報)
ウリエル
(世界雑学ノート)
大天使ウリエルとは?
(親切な方のブログ記事)
大天使ウリエルの役目や方位・色・伝説・特徴・意味を解説
ウィキペディアによれば、
「新約聖書外典『ペトロの黙示録』でウリエルは懺悔の天使として現われ、
神を冒瀆する者を永久の業火で焼き、不敬者を舌で吊り上げて火であぶり、
地獄の罪人たちを散々苦しめるという」
とあり、罪人には厳しい存在であるらしい。
また、親切な方のブログ記事には、
「太陽に最も近い大天使ウリエルは、強力なパワーを持った天使です。
その光は善悪をはっきりと照らし出し、物事の本質を明らかにします。
また、罪人には厳しい裁きと制裁を下す一方、善良な人には救いの手を差し伸べて助け出します。」
とある。
いかにも、キャシーは己の罪を認めようとしない人物には徹底的に厳しく、
良心を失わなかった人物には優しく接していた。
過去の過ちを深く悔い罪を告白する人物の前では、
キャシーは聖母マリアのようにも見えた。
あれは明らかに懺悔の場面だった。
キャシーは、裁き、懺悔の天使ウリエルであり、聖母マリアでもあるということか。
また、冒頭近くのシーンでは、十字架に架けられたキリストのようにも見えた。
あの場面は、エンディングにつながる伏線の意味もあったのか?
キャシーには、己を犠牲にしてでも、愛する者、善なる者の魂を救いたいという強い思い、
覚悟のようなものがあったのだろう。
その他の場面では、およそ聖なる存在とは程遠い行動が目立つせいか、
「主人公に感情移入できなかった」
という感想も見かけた。
彼女は一言では語れない、多くの顔を持った複雑なキャラクターだと思う。
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